ネットの世界ってなんだ?〜ネットが社会にもたらしたもの
やどりんです。
ぼくがTwitterを2年前に始めてから、ぼくの日常にはリアルの世界ともう一つネットの世界というものが並行するようになりました。 やはり新鮮で、ハッとさせられるような話を聞く機会が増えたし、リアルの世界ではほとんど見かけないような論争もたくさん見かけるようにもなりました。
いろんな価値観の人がいて、そのバックグラウンドにはみんなの生きてきた環境が流れている。その中にいると、自分の中にあるものとある意味で向き合えてるような気がします。
「インターネットは精神世界だ」という意見をついこの間聞きましたが、なるほどって感じです。
でも不思議です。ぼくが今までネットで見てきた多くの意見は、リアルの世界をよりよくできそうな意見でした。それに賛同する人もかなり多かった。なのにどうしてこの世界は一向にそのネットの世界の言うとおりに良くなる気配を見せないのかな……と。
それは、主張することや思考することを、実際に行動に起こせる人、そしてその行動を結果につなげられる人が多くはないということを反映しているのかもしれないです。
先ほどネットの世界は精神世界だということを取り上げましたが、正確にはネットは少しリアルとも連動しています。 ネットの世界で苛烈な争いが起こるのは、価値観の違いというものの秘める齟齬の恐ろしさをよく表していると思います。
もし、今生きている社会にネットの精神世界が入り込めば、今ある問題は少しは良くなるかもしれません。ですが同時に、人と人との価値観の相違がより強大に世界に作用するようになります。そして今一個人が自由に主張できるようになり、それが技術の発展とともにより推し進められるのだとしたら、より世界は複雑に、そして社会問題解決の難易度はより厳しくなると思います。
最近は教育現場でも「ネットリテラシー」という言葉で最低限の知識を教えることが多いです。ですがそれも怪しい。何しろその教育現場にすら異を唱える市民が多くいるのですから。そうなると一個人が考えるべき「正しさ」や「価値観」、「常識」などの負担量はどんどん大きくなります。
当然精神的に参る人が増えるのもうなずけます。今特に違和感なく課題を自分なりに処理できている人は、その膨大な諸問題に気づけてないことがあるにしろ精神的にかなりタフだなあ……と思います。
そして現実世界では、精神だけでは事象が動かないので、行動できる人、もっと平たく言うなら能力が高い人の力が強くなります。今まではその力の行き過ぎを制御する法律なんてものがありましたが、精神的なものが加わるとなると難しい。精神的な格差が現実世界でも大きく影響するものになってしまう。インターネットの恩恵を受ける人と受けない人との間に生じる格差のことを「デジタルディバイド」、情報格差なんていうことがありますが、「メンタルディバイド」なんて格差が、すでに始まってるのかもしれません。そして、その解決法を考えるのはとても難しい。答えのない問題によって引き起こされているものが多いのは明白ですから。
なんであれ、個人が考えるべき事象がますます増えてきているということは、頭に入れておかなくちゃな……と思います。
今日の曲紹介
いつもにも増して難しい話をしてしまったので、優しい曲調を選びました(?)
Alvaro Soler - Volar (Lyric Video)
熱情の国スペインより、「アルヴァロ・ソレーユ」です。
ラテン系のノリの良さとアコースティックギターの優しいメロディー運び、ソフトだが芯の通った声が聴きやすさとともに耳に入ってきて、リラックスできると思います!
それでは今日はこの辺で。 やどりんでした。